目次
沖縄戦
集団自決
状況
戦後の資料(史料)
沖縄戦
集団自決
日本軍による強制があったのか、未だに議論が尽きない。双方の意見を収集する。
状況
集団自決があったのは以下の2島
渡嘉敷島(慶良間諸島):320人
座間味島(慶良間諸島):170人
戦後の資料(史料)
1950年(昭和25年)沖縄戦記
「鉄の暴風」
(沖縄タイムス社・初版は朝日新聞社刊)
渡嘉敷島と座間味島に駐屯していた日本軍の隊長の命令によって集団自決を強いられたとの記述。
大江健三郎氏の
「沖縄ノート」
や家永三郎氏の
「太平洋戦争」
など多くの出版物に引用された。
昭和50年代、宮城初江さん(女子青年団の一人・梅沢少佐に自決用の弾薬類を貰いにいった人の中で、唯一人生き残る)証言
「梅沢少佐の自決命令はなかった。戦後、遺族の方が援護法の適用を受けられるように、事実と違う証言をした」などと娘や梅沢さんに告白
宮平秀幸氏証言
村長の解散指示が出された後の1945年3月26日未明、宮平秀幸氏一家7人は梅沢少佐の配下にあった整備中隊の壕に行った。そこで、宮平秀幸氏が中隊長の中尉に忠魂碑前で自決できなかったことを話すと、中尉は「死に急ぐことはない。1人でも多く生き残るべきだ」と話し、軍が保管していた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを与えられた。
宮平秀幸氏一家は第1戦隊第2中隊の壕でも、別の中尉から、コンペイトウ、ミカンの缶詰、黒糖アメなどをもらった。
「ある神話の背景」
(曽野綾子著)
渡嘉敷島の集団自決については、同島に駐屯した海上挺進隊第3戦隊長、赤松嘉次大尉が自決を命じたとする証言が採集できなかったとのこと。
「鉄の暴風」や「沖縄ノート」の記述に疑問が提起する。
自由主義史観研究会の調査
沖縄県の元援護担当者の照屋昇雄さんが「軍命令は遺族に援護法を適用するための創作だった」と証言。
2007年 文部科学省の教科書検定
日本軍に集団自決を強制されたとする断定的な教科書記述に検定意見を付けた。
沖縄県議会などが検定意見の撤回を求める決議を採択。
検定後の訂正申請で、軍の強制を意味する記述の復活を認める措置をとる。
梅沢元少佐(91)と赤松大尉の遺族
大江健三郎氏らを名誉棄損で訴える訴訟を大阪地裁に提起。(2008年3月28日判決予定)