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内舘牧子

  • 知ったかぶり週報@kajie 12/23 11:13
  • 電王戦で塚田九段を破ったコンピューターソフト・プエラ開発者の伊藤氏が日本将棋連盟などを名誉毀損で訴え aleag.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/p… 内館牧子氏の記事は確かにひどかった。私も嫌な気持ちになったし。しかし裁判沙汰にまで発展してしまうとはね…。

「精神文化を学べ」―内館牧子― - 手も足も出ない技術士「平ねぎ」の無為徒食日記

『週刊新潮』(13.4.25号)に、次の記事があった。

<入玉でコンピュータと引き分け「塚田九段を泣かせた非礼感想戦」>

これはご承知のように、現役棋士五人と五種類の将棋ソフトが対戦した「電王戦」の第四局である。この団体戦は、早くから話題になっていた。同誌によると、 入玉で引き分けた塚田九段の涙した理由のひとつは、今回のソフト「Puellaα」を開発した五十代男性のひと言だったという。「入玉への対策はしていま したが、なおざりだった。名局と言われた前の2戦と比べて、つまらない将棋になってしまった。勝ちを逸したけど仕方ないです」 同誌はこの言い方に対し、「ベテラン棋士」の言葉として 「棋士は、自分が指した悪手を″つまらない手″だと言うことはあっても″つまらない将棋″だとは絶対に言いません(中略)やはり、それは相手に対して、尊敬の念を持って戦っているからです」と書いている。うなずく人は多かろう。 私は開発者の発言を読んだ時、「五十歳にもなって、教養がないんだなァ。相手にするだけ無駄だわ」と思った。 むろん、開発者としては、人間に圧勝するソフトを開発することは第一義だ。しかし、衆目が集まる中で戦う以上、少なくとも将棋界の精神文化を、ザッとで あっても学んでおこうと思うのがその人の教養というものだ。この五十歳男性は、「将棋」という相手の舞台で開発の仕事をしながら、その文化や伝統、歴史な どにはまったく無関心だったのだろう。とにかく、強いソフトを開発することに心血を注いで来たのだろう。だが、たとえそうであっても、相手への敬意として 文化や精神を学ぶ姿勢が教養というものだ。 一方、4月19日の秋田魁新報に、比較すると面白い記事が出ていた。囲碁棋士の井山裕太さんが、張栩棋聖からタイトルを奪い、碁界初の六冠となった際の様 子である。終局後、井山さんは張さんの気持ちに配慮し、喜びを表さないよう努めていたことに、周囲は気づいていたという。二十三歳の井山さんの態度に対 し、五十歳の開発者は「つまらない将棋」と言った。これを「開発者は部外者だから」で看過してはなるまい。井山さんの態度について、同紙は書いている。 「自分には喜びでも相手にとっては悲しみであることを、若き天才はよくわかっているのだ」 こういう抑制の精神は、将棋、囲碁のみならず、柔道や相撲などの武道にも、日本独特の文化として共通する。「中高年」と呼ばれる年齢になってもなお、それさえ知らぬ人に腹をたてたり、泣いたりするのは無駄以外の何ものでもない。