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安倍晋三

WikiPedia(リンク)からの転載を元に、個人的に編集しています。

発言

  • 2013.12.26 靖国神社参拝後の記者会見(リンク

経歴

  • 1954年(昭和29年)9月21日 当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎とその妻、洋子の次男として東京で誕生(本籍地:山口県大津郡油谷町・現・長門市)
  • 1964年から2年間(小学4年生から5年生)は平沢勝栄が家庭教師についていた
  • 高校ではクラブは地理研究部に所属
  • 成蹊大学入学。佐藤竺教授のゼミに所属し行政学を学ぶ。アーチェリー部に所属し準レギュラー。
  • 1977年春、渡米。カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通う。日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通う。
  • 1977年秋、南カリフォルニア大学への入学許可を受ける。
  • 1978年、入学。政治学を専攻。
  • 1979年に中退。
  • 1979年4月、帰国。神戸製鋼に入社。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社に勤務。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧。
  • 1982年、当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての修行を行う。
  • 1987年、当時森永製菓社長だった松崎昭雄の長女、電通社員の昭恵と結婚。媒酌人は清和研創始者福田赳夫。
  • 1991年、総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。
  • 1993年、父の地盤を受け継ぎ第40回衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し初当選。(安倍後援会は新生党古賀敬章や日本新党江島潔含め三分裂、江島は1995年下関市長となり手打ち)。当選後はかつて父・晋太郎が会長を務めた清和政策研究会に所属する(当時の会長は三塚博)。
  • 1995年、自民党総裁選では荒井広幸や石原伸晃と共に小泉純一郎選対の中核を務める。
  • 1997年、自民党青年局長就任。
  • 1998年、政策集団NAISの会結成。厚生族として社会保障などに通じた議員と見られていた。
  • 2006年1月、アメリカ合衆国国務副長官ロバート・ゼーリックと握手を交わす。
  • 2000年、第2次森内閣で小泉純一郎の推薦を受け、政務担当の内閣官房副長官に就任。第1次小泉内閣でも再任。
  • 2002年、水野賢一が外務大臣政務官在任中に台湾訪問拒否され辞任した際、理解を示し擁護。小泉首相の北朝鮮訪問に随行。

自民党幹事長時代

  • 2003年9月、小泉首相によって自民党幹事長に抜擢される。
  • 幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。
  • 2004年4月、埼玉8区補欠選挙で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人柴山昌彦が当選(同公募には佐藤ゆかりも最終選考に残った)、
  • 2004年夏の参議院選挙で目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆し、結果49議席の責任をとり、しばらく現職に留まった後で辞任。
  • 2004年9月、後任の幹事長・武部勤の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任した(幹事長経験者の幹事長代理就任は異例)。
  • 2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。
  • 2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。憲法改正や教育改革、庶民増税を極力控えた財政健全化に取り組む方針を示す。また、総裁選に当選した場合、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。

第一次安倍内閣

  • 2006年9月20日、小泉の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎、谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、
  • 2006年9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。
  • 2006年10月に中国・北京で胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。
  • 2006年11月3日に行われた日米野球の第一戦の始球式を務め、その際の練習相手は(自身の1歳下で作新学院高等学校野球部正捕手として江川卓とバッテリー組み、早稲田大学野球部では山倉和博の控え、熊谷組野球部でも活躍した)清和研新人代議士亀岡偉民。
  • 2006年9月から11月にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える郵政造反組復党問題が政治問題化する。
  • 2006年12月には、懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現した。
  • 2006年12月、安倍が肝煎りで任命した本間正明税制会長が公務員宿舎への入居と愛人問題で、佐田玄一郎行改担当大臣が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任。
  • 2007年3月の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難される。
  • 2007年4月下旬、米国を初訪問。
  • 2007年5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣が議員宿舎内で、首を吊って自殺。
  • 2007年6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアで大きく報じられた。
  • 2007年6月6日〜8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。また、議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた。
  • 2007年7月3日には久間章生防衛大臣の原爆投下を巡る「しょうがない」発言が問題化。
  • 2007年7月31日の自民党総務会において「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)。
  • 2007年7月31日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決。
  • 2007年8月1日には赤城農相を更迭。
  • 2007年8月5日から、胃と腸に痛みを感じ、食欲の衰えを感じるようになる。
  • 2007年8月19日から8月25日のインドネシア・インド・マレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化。慶應義塾大学病院の主治医によると、潰瘍性大腸炎の血液反応はなく、機能性胃腸障害という検査結果であったという。
  • 2007年8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(第1次安倍内閣 (改造))。
  • 2007年9月9日、オーストラリア・シドニーで開催された APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。
  • 2007年9月10日に第168回国会が開催され、安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明。午後には「(改正案を通すのは)厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を麻生幹事長に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです」と慰留された。
  • 2007年9月11日には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」と語る。
  • 2007年9月12日午後2時、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を行う。
  • 2007年9月13日、慶應義塾大学病院に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表。
  • 2007年9月21日、53歳の誕生日。
  • 入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答えた。
  • 2007年9月23日に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁としてのあいさつは谷川秀善両院議員総会長が代読。
  • 2007年9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。
  • 2007年9月25日、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での首班指名選挙に出席する意思を明らかにした。
  • 2007年9月25日の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。
  • 2007年9月26日には皇居で行われた福田康夫首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。

第二次安倍内閣

  • 2013年12月26日、靖国神社に参拝。
  • 2014/01/23 ダボス会議の記者向けのブリーフィング(囲みでのインタービュー?)にて、現在の日中の状況を第一次世界大戦前の独英関係に例えたと伝えられる。
    • BBC News - Japanese PM Shinzo Abe urges Asia military restraint (リンク)
    • 首相、1次大戦前の英独に例える 現在の日中関係、新たな火種に - 47NEWS(よんななニュース)(リンク)

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