12日に予定通り現地取材が許された。14日午後にラサ市中心部の北京路と周辺の寺院そばで僧侶二人が警察に殴打された事を契機に暴動が始まった。~中略~ 漢族は当局の後手に回った対応に憤激した。当局は1989年の天安門事件やラサ暴動のように武力鎮圧に乗り出せば、北京五輪への各国のボイコットを招くという政治的懸念のために実力行使できなかった。15日には投石するデモ隊に催涙ガスが発射され、通りは沈静化した。武装警察は路地にまで入った。
実弾も発射されたが、乱射ではなく単発だった。射殺するためというより警戒の意味合いが強かった。暴動初期にはあちこちでチベット人が警察によって殺されたといううわさが飛び交ったが、後半にはそういう情報はなかった。中国の基準で言えば、鎮圧の過程は相対的に節制されたものだと感じた。15日午後には路地も静かになった。当局はその後、暴動の首謀者の摘発に乗り出し、無差別逮捕で恐怖感が広がった。18日に軍と警察は残っていた観光客100人余りを暴動地域から遠く離れたホテルに移し始めた。(
朝鮮日報)