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  • 2014/03/22 「ベビーシッター事件に思う: 田中ゆうたろうブログ」 (Link)

ベビーシッター事件に思う 大切な子宝を乳飲み子のうちから赤の他人に預けて憚らない風潮は、なぜ当然のようにまかり通っているのでしょうか。こんな風潮は、そろそろ止めにした方が良いと思うのです。

悲しい事件が起きてしまいました。埼玉県富士見市のマンションで男児が死亡しているのが見つかった事件で、神奈川県警は昨日、この部屋に住むベビーシッターの男について死体遺棄容疑で逮捕状請求手続きに入ったとのこと。

心よりご冥福をお祈りします。そして、語弊を恐れず、あえて心を鬼にして言いたいのです。預ける相手もろくに知らずに、預けてしまう。しかも、3日間も。この母親に、非はなかったのでしょうか。

母親の住まいは横浜市とのこと。同市が使っている「保育コンシェルジュ」という言葉にも、私は以前から不健康なものを感じていました。コンシェルジュというのは、「ホテルで、泊まり客の求めに応じて、街の地理案内や交通機関・観劇の切符の手配などをする係」と辞書にあります。観劇の切符の手配と、子供を他人に預ける手配が同列で良いのでしょうか。杉並区の文書でも、一時期、この言葉が仮称として使われており、大変懸念していました。今では、「保育ホッとなび」という言葉が公式に使われていて、私もホッとしています。

「横浜市は待機児童ゼロを達成」──。昨年のニュースに踊ったこういう見出しが、この母親の心に影響を与えたのでしょうか。社会が子供を育てて当たり前。他人に預けて当たり前。そういう風潮が、この母親に偏った観念を持たせてしまったのではないでしょうか。悲しく思うと同時に、今回の事件を、今の日本人は天啓と受け止めるべきではないかと私は考えます。

今朝もテレビで、専門家と称する人が出てきて、こんなことを言っていました。「我々はシッターの質の担保のために、コストをかけている。料金が安い分、利用者は相応のリスクを負っていると思ってもらいたい」と。しかし、心ある保育関係者は思っているはずです。そうではなく、まず、親にしっかりしてもらいたいと。


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